浮気

それでも競馬場にさえゆけば、助手さんか誰かが来ているにちがいないという希望が、わずかに彼の気もちを幾分か躍らせていた。「浮気、調査じゃないか」彼は刑事の声と聞きちがえた。ビクリとした眼は秋の空の下にはちきれそうな健康さをもって笑っている男の眼と出会った。彼は、数百円もしそうな漆のサラブレッド種の鞍にぎゅっと乗りこんでいた。その毛の艶、乗馬靴の艶、鞭の艶、調査は惚れ惚れと見入ってしまった。——それは競馬界で島とよばれている売出しの騎手だった。内外人の女たちにもてて、体がいくつあっても足りないほど騒がれているというこの大阪の花形騎手も、つい数年前まではメリケン波止場で砂糖尾行組合の大阪 浮気調査に鞭を打っていた労働者だったのである。——しかし島は自己の才分を生かしていつか利巧に波止場ゴロなどとの縁を切って、今では山の手に庭園付きの広壮な邸宅や厩舎をもって、取り澄ましている。しかし、なかなか昔のゴロ仲間の方からは縁を切らさないので、人気商売として、かなりその操縦には腐心が要った。また、浮気は彼をそうまでよく知らなかったが、彼の方では浮気をよく知っている様子だった。