大阪

昔は——明治四、五年ごろには、戸部の洋牢と言って、ふつうの罪人を収容した遺跡だそうであるが、今では畳を敷いて、遊戯場には一個のピアノを置き、曲木細工の椅子が四つほどもあって、まことサーチのなにがしという老外人が、不良児の感化事業を試みている、いわゆる少年懲治監なのである。不良児たちの間では、ここへ三度来ると、八だけ島の感化院へ送られて一生涯帰れないということが信じられ、恐れられていた。——調査はこんどで三度目だった。そして高い塀の下に咲いているコスモスまでが故郷の花のごとくなつかしい。「浮気が来た」「まことが来た」懲治監の不良児たちはおそろしく敏感でまた早耳だった。その無電的な囁きはたちまち伝わって一だけもある塀の囲いの中を明るくした。各個の監禁室にいる不良児たちは、バンザイのかわりに、指笛をふいて、監視に叱りつけられた。「何を騒ぐ、おまえたちは」監視人には、まさか入監者の調査を歓迎するそれが彼等の礼式だったとは知らなかった。ただいつものように、「また晩飯を減らされたいのか!麻つなぎをやらせるぞ!」と、ただ脅かすべく、各室を事務的に呶鳴りあるいた。